私は2010年に筑波大学で中南米の政治学研究で博士号を取得し、その年の10月から2年間、在ボリビア日本国大使館で専門調査員として働きました。 大使館に赴任してからしばらくの間は、日本を背負う仕事なのだとプレッシャーを感じ、畏縮していたところ、そんな私の様子を見た大使が、ある時「君、もっと堂々としなさい!」と声を掛けてくれました。それがきっかけで徐々に自分らしく働けるようになった結果、任期中は与えられた任務だけでなく、自らテーマを探して調査し、報告書を数本書き上げるなど、積極的に過ごすことができました。
当時、私の担当は日本にとって戦略的に重要な鉱物資源に関する調査でした。日本・ボリビア両政府が参加するシンポジウムに向けて情報収集を進めていましたが、限られた資料や政府による発表から同国の資源政策を読み解くことは困難でした。そんなときに物を言うのが、信頼関係に裏打ちされた人脈です。私は大使館のネットワークを生かして、日頃からエネルギー関連省庁の役人や企業の人々と連絡を取り合い、頻繁に顔を合わせるようにしていたのですが、その積み重ねで相手の考え方が分かってきたり、「実は・・・・・・」と口を開いてくれるようになったこともありました。そのような経験が、専門調査員としての自信にもつながりました。
現地ではサッカーが盛んなため、行政機関や企業でもチームを作っている団体が珍しくありませんでした。大使館もその例に漏れずチームがあったため、仕事上で新しく知り合う人には「ところで、サッカーはお好きですか?」と聞いては、交流試合によってさまざまな組織・立場の人と一層親交を深めることができました。
日常業務としては、現地の新聞を7社分ほど読み、日本にとって重要な情報については、さらに聞き取り調査をして外務本省に電報を打つといったこともしていました。とはいえ、最初からスペイン語力に自信があったわけではありません。仕事上、公式文書を書く機会が多く、それらを大使館の現地職員がいつも丁寧に添削してくれたことが大きな力となりました。おかげで、任期の終わりごろには現地の国立大学で研究発表を行うまでに成長しました。大学では、学生が熱心に質問をしてくれて、日本人の研究者として現地社会に貢献できることがあると実感したのを覚えています。
専門調査員時代は国のバックアップがあることで、一研究者の立場では決して会うことのできない要人たちと知り合い、“生きた情報”に触れることができました。これは専門調査員制度の大きな強みでしょう。専門調査員を経験したことで、“実利として世の中の役に立つ研究”を強く意識するようになったことも、研究者としての自身の大きな変化です。 帰国後は、筑波大学や日本学術振興会での研究員を経験し、現在は名古屋大学大学院国際開発研究科で准教授として留学生の論文指導などを担当しています。今後は、海外の大学でも講義を行うなど、研究者としての貢献ができればと思っています。